猫とリード

実家では母が猫を飼っている。

父が他界して気落ちしている母の慰めにと弟がもらってきた。
まだてのひらに乗るほど小さなその猫は、部屋が汚れるのを嫌った母によりずっとカゴに入れらていたと聞いた。

大きくなってからは室内でも常にリードで繋がれている。
リードの長さと同じ高さの釘に繋がれて、餌、水、トイレだけが猫の動ける範囲内にある。
水の皿が乾いていたので私は水を足した。
「トイレの回数が増えるからやめろ」と母に叱られた。

「これは動物虐待だ」と言った私に「こどもを置いてきたあんたが動物愛護とは笑わせる」と母は答えた。

赤いリードを見ていると、自分自身がそのリードにつながれている気分になる。
どこへも行けず誰も助けに来ない状況は見ている方も苦しくなる。

母が留守にするわずかな時間、私は猫のリードを外した。
猫は何が起きたのかわからない様子でぼんやりしている。
猫を抱いて日向へ連れて行き、おひさまの光にあてる。
それを何日か続けると猫は自分が動けることを理解して廊下をドタドタと走り回る。
ぼんやりしている猫にそっと近づいて軽くタッチしてから逃げる。
猫はその遊びをすぐに覚えた。
物陰に隠れて待ち伏せし、飛び出してきて前脚で私の脚に触れ、ニャーとないて逃げる。

廊下を走り回り玄関の下に隠れてないている。
覗き込むと満足げに「見つかった!」という表情で反対側の端に隠れて私を呼ぶ。
探しに行くまで呼び続ける。

「猫を連れてあの家から逃げたかった」とカウンセラーに話した。
しかし私が猫を攫ってもまた別の猫をリードにつなぐのはわかっている。

箱庭療法の時、実家の周辺を作りあげて猫を置きしばらく眺めた。
「こんなところやってられるか! と猫が逃げ出しました」と私は猫を逃がした。
そして猫の横に別の猫を置いた。
「おともだちですか?」とカウンセラーが聞いた。
「そうです。猫のともだちです」
人間ではなく猫には猫のともだちがいた方がいい。

私があの家と断絶して5年近く経過した。
今でも猫はつながれたままだろうか。